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理由はひとつだけではないと思うが、色々な話を・・・

(1)平成19年夏といえば、ちょうど「メタボ」という言葉がはやり始め、職場でも腹囲を測られるのが屈辱で、その年の10月、私の45歳の誕生日からダイエットを始めた。(いわゆる、駅トレ・1st)

(2)平成20年2月、かずまるが毎週土曜日に塾に通い始めた頃、私は既に15キロほどの減量に成功していた。そして、「お父さんの時代には土曜日には学校があった。お前もせめて土曜日は勉強しろ。その代わり、お前が勉強をしている間、走って一緒に苦しむから。」という名言がある。

(3)平成21年4月に私の(当時の上司でもある)マラソンの師匠との出会い。12月になっても第48回愛媛マラソンは定員に全然満たず、師匠から愛媛マラソン出場を勧められる。

私:では、明日(金曜日)休暇をいただいてよろしいでしょうか。35キロ走って決めます。

師匠:休暇を認める。良い結果を待っている。

いわゆる「お前はできると~、耳元で言った~、そんな上司にだ~まされ、愛媛マラソンに・・・(桑田さんの例の曲で唄ってください)」という、私にとっては歴史的な日になったわけである。

(4)そして、ふと、第4の理由を思い出した。それが、画像のとおり、私の腰に燦然と輝く「ポケウォーカー」だ。

当時、かずまるに頼まれて、装着していた。私が走れば、万歩計になるし、歩数に応じて「ピカチュウが成長する」のだ!

これぞまさしく一石二チュウ(鳥)!!

実際には、第48回大会は雨のため装着できず、第49回大会には装着。画像は第50回大会のものだ。

でも、当時は年間3600キロ走っていたのだから、ピカチュウは相当成長したに違いない。もっとも、ポケウォーカーの電池切れと同時に装着することもなくなった。

ピカチュウを成長させるために、走っていたような気がしないでもない。

ある意味私のマラソンの歴史でもあったのだ。