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2016/09/28予讃線伊予和気~三津浜間13M

昨年12月、通勤中に路面が前日の雨で濡れていたこともあり転倒。ヘルメットはかぶっていたが、首付近を殴打したため、そのまま脳神経外科へ通院。

その殴打そのものは問題なかったのだが、医師から「53歳にしては脳梗塞の跡が多い」と指摘を受け、後日脳検査を受け、今日その後の症状確認のため通院した。

結果は、当時から新たな脳梗塞はないという診断で、とりあえず安心。

以下、事実と推測を述べる。

(事実)

●昨年12月の脳検査で、53歳にしては脳梗塞の跡が多い。(脳梗塞の跡は消えないし、一度起これば通常それ以上拡大しない)

●今回の検査で、新たな脳梗塞は見られない。

(推測:医師も否定はされなかった)

●8年前の体重は今よりも20キロ近く多かった。

●8年前の10月から(鉄分)ダイエットを開始し、半年で体重そのものは今とほとんど変わらないほど減量した。ただし、見た目はそれほどかわらなかったという。(鉄分ダイエットの「鉄分」とはね栄養素としての「鉄分」ではなく、走るときも決して「鉄道」を忘れないという、強い心を持つ表れである。その証拠にランニングの画像はそのほとんどが列車の写真であることで納得されると思う。)

●推測として、脳梗塞4か所があることは事実であり、減量していなければ、どこかの段階で動脈硬化があったかもしれないということは否定できない。

(結果として)

●8年前(平成19年)といえば、ちょうど「メタボ」が有名だったころで、腹囲を自己申告できなかった屈辱を思い出す。それと、母親からの「父親は自己コントロールができるが・・・」という言葉に「ムカっ」ときたことも思い出される。

●当時は松山から宇和島まで通勤しており、定期を利用して、週末は南予で山登りをしていたのだが、体重の減少とともに、体が浮くような感じで歩き→早歩き→遅いランとなったことは事実。さらに、昼休みランを始めたなあ。

●いずれにしても、当時約86キロあった体重を半年で70~72キロまで落とし、さらに1年かけて15キロ程度はランニングできる体を作った。

●平成21年4月、いわゆる私のマラソンの師匠と出会い、平成22年1月にまさかの第48回愛媛マラソン参戦。

(今思うこと)

●いわゆる「鉄分ダイエット」を平成19年の段階で始めたことが、結果的に自分を救ったことになるのではないか?

●その意味では、世間では「メタボと騒ぎ立てて、普通の人を病人に仕立て上げた厚労省の陰謀」と書きたてる記事を見たこともあるが、私自身にとっては、タイミングを含めて「それに救われた」者もいるということになる。

●適度な運動と「(年齢を考えた)フルマラソン」とは別物である。愛媛マラソンの市民化のおかげで、動脈硬化の危険性を排除できたという意義は大きい。

●ただ、今後のことを考えると「アスリートエントリー」を有する愛媛マラソンは、自分自身の精進とモチベーションの意味で、今後考えられる加齢による体力低下と健康管理の問題を含んでいるのではないか?と考える。

●つまり、いずれは切れるであろう「愛媛マラソンでのサブ3・5」に固執して、体を壊したのでは本末転倒である。だが、今現在4年連続で達成していることに、どれだけ自分がプライドを捨てられるのか?それをも考えさせられた今日の診断であった。

ただ、今思うことは、すべて

「鉄分ダイエット」に自分は救われた!ということである。