かずまるのblog

元々は「鉄」のブログでしたが、いつしか「ラン」へ移行してしまった「かずまる(今はもう社会人)」の父(61歳)です。

2010年01月

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今日の初マラソンで、体調が大変良かった理由が、今になって判った。

実は、昨日から体重が0・2キロしか減っていなかったのだ。12月23日に42・2キロ走ったときは3キロほど減っていたし、今日も最低2キロは減ると思っていた。

確かに、雨で給水の必要がなかったとはいえ、40キロ以外全てとったし、バナナと坊っちゃん団子は食べれなかったが、パンを1食と(持参していた)森永ウィダー2個(出発前に更に1個)食べたというのが大きかったのであろう。ダイエットする意味では大変ショックであったが・・・

で、今日の結果であるが、(全てネット計測)5キロ29分55秒、10キロ59分42秒(5-10は29分47秒)、15キロ1時間29分07秒(10-15は29分25秒)、20キロ1時間58分29秒(15-20は29分22秒)、25キロ2時間27分28秒(20-25は28分59秒)、30キロ2時間55分42秒(25-30は28分14秒)、35キロ3時間22分30秒(30-35は26分48秒)、40キロ3時間48分42秒(35-40は26分12秒)、ゴール3時間59分08秒(40-42は5キロ換算で23分46秒)と全ての区間で速度が上がっていたことになる。

それと、残り5キロで感無量となった理由は、自分がかずまるの時には虚弱体質で毎月日赤に通院していたため、(高校時代には100メートルは11・8秒では走れたが)長距離なぞ、夢物語であったわけだ。が、そのとき、ちょうどMP(ミュージックプレイヤー)が本田美奈子の「つばさ」だったこともある。「ボクは死にません!」ではないが、曲が悪かったのであろう。

ということは、ハーフ1時間55分の2倍の3時間50分では走れる結果となるのであるが、やはりマラソンは心臓への負担を考えると、危険なスポーツであることには違いないため、あまり向上させることには???という気がしないでもない。

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2010/01/02堀江~光洋台間24M

初マラソンは天候、(昨日は)体調ともよろしくなかった中で、(以下全てネット計測)3時間59分08秒で無事走り終えた。

走りながら、時計を見て「そろそろこの列車が来る」とか、時には音で「おおっ5Mか」とか、私がこのコースを幾度となく試走した理由がお分かりであろうか?

さて、朝から雨の中、私は一旦雨はやむが11時を過ぎた頃から再び降り始めることを雨レーダで確認していた。おまけに、私は走行中携帯電話のMPで音楽を聴いている。だから天気サイトの雨雲レーダの確認ができる。そのため、スタート時は上下ともビニール合羽を着て、スターと直前に下は脱いで、6キロ過ぎの給水地点で捨てさせてもらい、上はそのまま腰に巻いていた。このとき、上の合羽も捨てた方々は、その後降り始めた雨で失速した人も多かったようだ。

で、号砲が鳴ってから、スタート地点を過ぎるまでは3分半、しかもまだぞろぞろと歩いている状態である。ただ、県庁前電停付近に坊っちゃん列車が停車していて、警笛を鳴らしていたので、手を振ったものの、運転士は第3期車掌の2人では私は判るまい。そういうことで1キロ6分40秒、2キロ12分50秒と相当時間がかかるが、ひたすら我慢をする。国道196号に出てからは走れ始めて、5キロはそういう中で29分55秒で通過する。その次はトイレロスがあったにもかかわらず、10キロ59分50秒であった。で、ここで新事実発見!

8キロ地点が練習時よりも100メートル以上北に変更されていた!

これで全てのなぞが解けた。私の自宅から出発すれば、5キロは8キロ地点である。だから、当然5キロが早く、10キロで落ちるのは当たり前だったのだ!

というわけで、9キロ疑惑は確かにあったのである。

その後も5キロを29分程度で進み、中間点は2時間04分57秒、予定どおり、右手にパン、左手にスポーツドリンク(みかんジュースにはならなかった)状態で通過。ここで気になるのが、右足の違和感が全くないことである。左ひざには違和感があるが、これは想定内。息も全く切れないし、不気味なまでに絶好調である。ただ、例の鹿島が見える直前の急な下り坂は、道路が相当傾いていて、走ると、足のバランスが悪くなる。歩道を走ったほうがよいとも思う。

走っていて、一番嫌なのが24~26キロの第2折返しの道である。しかも、折返しまでに相当上っている。折り返すと、向かい風になる。ということは、前半は南風で追い風だったのが、ここへきて北風に変わった。つまり、後半も追い風になるということである。先輩からは「25キロあたりからスピードを上げろ」と言われているものの、向かい風の間は自重し、再び国道に入った27キロあたりから、速度を上げ始める。

実に怖いくらい調子がよい。携帯電話で妻に電話をしようか?と思ったくらいである。実際この27キロ以降はただ抜くだけで、誰にも抜かれなかった。(1人抜かれたが、その後失速していた)ここで、困ったことが発生する。今までは1キロ6分で走っていたから、何時間走っても、時計の計算をする必要がない。だが、今日はこのあたりで1キロ分くらいの貯金ができてしまい、1キロが確実に最初は5分40~50秒、後半は5分30~40秒で走れていることは判っても、5キロごとのスプリットの記憶がなくなる。ただ、前のランナーを抜くことと、非常に楽だから、沿道の声援に答えてしまう。

30キロを過ぎても、あの悩まされた右脚の違和感が全くない。30キロを過ぎて、多少左太腿あたりに違和感があるくらいである。本当に不気味なくらいの体調が続く。だから、太腿に関しては、32キロを過ぎたトンネル中で、予防策として両足でたたいておいた。

35キロを通過。まだ何の違和感もない。この向こうの給水ポイントでは、坊っちゃん団子があるのだが、ここまで来ると、すでに失速したランナーがたむろしていて、中には給水の補助員と話しこんでいたりして、給水のスペースがない。走行するうちに最後の上り坂が近づいてくるため、そちらの方向に気が行ってしまって、後から「ああっ!坊っちゃん団子忘れた!」ということになってしまった。

その36キロまでの坂では、抜いた抜いた何十人!状態で、37キロ地点を過ぎ、あと5キロ地点では、3時間33分である。これは、(ネット計測)4時間を切れる?と思い始め、ここでギヤを入れ替える。いや、別にスパートを掛けるわけではなく、最初の5キロ(厳密には3~7キロ)程度の速度を維持すればいいだけである。このあたり、感無量になってしまう。思えばかずまるの頃の私は虚弱体質だったなあ、となんだか涙が出そうになる自分があった。

40キロを過ぎ、あと2キロ地点を2時間48分で通過すると、1キロ5分30秒で走れば確実に4時間を切れる。だが、このあたりから、両太腿外側に急に(弱い)痙攣がおきた。だが、もう2キロである。手遅れだ!とばかりにそのまま走る。幸い、息はスタート当初から全く変わらないし、脚の違和感もない。しかも、そのとき20年前の職場のH先輩が声を掛けてくれたのが大きかった。本当に自分の名前を呼んでくれたときに元気が出るというのは本当だった。

あと1キロを過ぎ、正直なところ「もう終わるの?」という不思議な感じが始まる。それを振り切るように、あと500メートルあたりからスパートをかける。なんだかよく判らないが、前に見えるランナーを全て抜いてしまいたいという衝動感にかられる。平和通を過ぎて、札の辻を抜けると、もう毎日の練習コースであった。というわけで、後半は1時間54分11秒(タイムトライアルでは1時間50分45秒が記録)というスピードで走ってしまったのであった。

反省点とすれば、今となってはどうすることもできないが、自己申告タイムを3時間59分にしていれば、Bグループからのスタートになり、もう少し早く走れたのかもしれないが、それは経験不足ということだろう。

さあ、初マラソンが終わって、次は何をしようか?

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気象台のばかやろう!!!!!!

1週間前の24日(日)には「曇時々晴・信頼度A」とのたまっていた1月31日(日)の天気予報であるが、27日(水)に信頼度をBとし、28日(木)には曇として、なんと今朝になって

「曇時々雨・くもり朝から昼すぎまで雨」だと!?

それって、要するにマラソン走っている間だけ雨だということぢゃないか!いや、雨が降るのは気象台が悪いわけではない。その予報ができなかったのか?雨とわかっていればそれなりの対処がもっと早くできたということだ。事実、米天気予報では1月17日(日)には既に雨と予報し、一度は晴れとしたが、22日(金)からはずっと31日(日)を雨としていた。当初私は米天気予報をバカにしていたのだが、

バカにすべきは日本の気象台ということだったのか?

しかも、怖いのは、今朝になって急に予報を変えたため、今日のマラソン受付時では、「雨は明日の夜からでしょ」とみんな言っているのだ。

私は当初綿パンで走る予定だったのだが、一度雨にたたられたときにはズボンが重くなって困ったため、急きょランニングパンツ(ビニール製)を購入することにした。まあ、今後多分必要になってくるものだから、よしとしようか。

それよりも気になるのは自分の体調である。どうも、ここ3週間近く風邪が抜けきれず、というより今日になって調子が悪くなったような気がする。むしろ、左アキレス腱のほうはじっとしていれば違和感を感じるが、最後の試走などでも動いていると気にならないようで、後半は判らないが、とりあえずスタートでは気にする必要はなさそうだ。

というわけで、大変イライラする夜を迎えることになりそうだ。今の天気が良いのに明日は雨が降るというのは大変腹が立つものだ。そういえば、昨年の3月22日(日)の夜(自転車特攻隊・高知)、同じく7月19日(日)の夜(自転車特攻隊・日和佐)、同じく8月28日(金)の夜(自転車特攻隊・三本松)もそうだった。

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いよいよ初マラソンが明後日に迫った。

ここへきて、なんとなく不安な影が・・・左アキレス腱の違和感が気になる。ただ、今日(キロ5分30秒程度で)4キロ走った感じでは、3キロ辺りでは違和感(決して痛みではない)がが気にならなくなった。だから、気にはしていないつもりではある。

とはいいつつも、今更どうすることもできないから、なるようにしかならない。幸い、今のところ天候はよさそうだから、いいものの、スタートまでが若干不安である。(特にトイレ事情)

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今日は思ったよりも天気の回復が早かったため、最終調整中ながらも、一応当日のペース走を兼ねて、1キロ5分50秒ペースで走ってみた。

が、実際には1キロ5分30秒ペースで走ってしまう。実際そのペースで走りきったら、サブ4は可能であるのだが、それは怖くてやろうとは思えない。上司は「大会でペース走したのでは意味がない。おもしろくない。それが大会だ。」とおっしゃる。が、やはり、怖くて少なくとも前半はLSDをするつもりでいる。

さて、マラソンサイトでは、昨日全出場選手のナンバーと氏名が掲載されている。で、松山市長なのであるが、よく見ると、前後に松山市消防局の職員が数人しっかりと並んでいる。番号から見て、5時間程度だから、松山市消防局の職員の多くが本当にその程度の体力ならば少々情けない。だから、ひょっとすると、彼らはSPではないか?ひょっとしてAED持って走ってたりして?と考えているのだが・・・そういえば、万一のことがあっても、プロだし・・・

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正直なところ、こんな想像するヒマがあったら、「かずまるサイト→旅行の記録→妄想鉄道の旅」にあるとおり、「しおかぜ」と「いしづち」の分離運転(つまり、1時間特急2往復体制)という夢のような(本当に夢だろうけど)ダイヤ改正を妄想していたほうが楽しいものだ。

で、その予讃線減量ダイヤとは次のとおりである。

(1)松山以南の普通列車については、さらなる土日運休又は廃止(考えていてもむなしいだけだから、それ以上は考えない)

(2)閑散期の閑散時間帯は、8000系を全車両「しおかぜ」松山~岡山(L編成のみの5両、自由席3両)として、「いしづち」は高松~多度津間のみとする。(指定席の設定だけしておけば、これは簡単に実現可能だと思う。)

(3-1)松山以南については、2000系がそろそろ後継車両の話があるから、その際は原則2両編成。できれば、1051Dは2×2にしていただきたいが、場合によっては、そのうち2両は1051D~1072Dまで宇和島で草生し。この話、現在でも2200形に運転席を設置する方法もあるが、今更限界に近い車両の改造もなかろうと思う。

(3-2)もし、JR四国が本気を出したら、1001Dを松山止とし、松山以南はTSE2両(現1001D~1058D)、松山までの1001Dは2両編成として1053D~1060Dを走る。1061D以降は現行と同じという事態も考えられるような気がする。

(3-3)あるいは、アンパンマン編成も3号車と4号車をひっくり返して、基本3両、附属4両ということもあるかもしれない。

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今日、愛媛マラソンのサイトに出場者一覧表が掲載されていた。男3296人、女493人で計3789人ということらしい。(うち登録選手は男566人、女60人)

ということは、私の番号から推測すると、自己申告タイムは男子の中では大体前から6割程度(つまり後ろから4割程度)というところか。

まあ、今回は初マラソンということで、完走をめざして、LSDに終始する予定であるから、記録は考えないつもりではあるが、3789人の6割程度ということであれば、なんとか2000番あたりを狙いたいところでもある。

さて、今日は今週平日多分唯一となる昼休み5キロ走をしてきた。

22分50秒ということなのだが、思ったより疲れてしまった。うーん。

あと明後日の昼休み5キロと、土曜日にかずまるを11時半頃に松山市駅近くへ連れて行ってから、午後1時のマラソン受付の間に5キロをそれぞれ1キロ5分30分程度で走ろうと考えている。

それにしても、最近段々と坊っちゃん列車の運転士の名前がわからなくなってしまうのに寂しさを感じてしまうのであった。

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