かずまるのblog

元々は「鉄」のブログでしたが、いつしか「ラン」へ移行してしまった「かずまる(今はもう社会人)」の父(61歳)です。

2013年06月

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先週末の行軍で、右大腿部裏を傷めた後、さらに右膝そのものにも違和感が発生した。

そんなこんなで、いらいらしながら帰宅してみると、試験直前なのにかずまるが帰宅していない。多分学校で勉強しているのだろうと思う。

というわけで、7キロ行軍を決める。

とはいえ、当然ながら、今週末に備えて右膝の点検をするのが目的だ。7キロとはいえ、がちがちにテーピングをして出走。

その結果は「耳なし芳一」のごとく、テーピングの甘いところに違和感が出るという結果となった。

が、前回問題となった3箇所の痛みは走行中は全くなく、なんといっても体のバランスすを崩すような走りをすることなく、最初の1キロ4分40秒、最終7キロ31分40秒のペースで走れたのが収穫であった。

問題としては、行軍後(3年前の初マラソン直後にも経験したが)右膝を前後に振ったとはに若干痛みがあることと、やはり右膝外側に違和感が残ることである。

もっとも、とりあえず問題なく走れたわけだから、ストレッチをして、テーピングをすれば、次の週末は走れそうな気がしてきた。

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いよいよ、来週月曜日に第2回目の実行委員会があるという。(もっとも、先日はガセネタつかまされたけど・・・)

アスリートエントリー枠を残したうえで、残りは全て抽選とすることになっているが、当選者全てが入金・出走するわけではない。

聴くところによると、前回高知マラソンは実に4人に1人が入金しなかった計算になるという。

そして、第52回愛媛マラソンと同日開催日なのが、第1回北九州マラソンである。特に最近のランナーは「第1回」という響きに弱い傾向にある。

さらに、翌週は前回2週間後だった高知龍馬マラソン、そして3月から引っ越してきた京都マラソンが、愛媛マラソン実行委員会側から見れば殴り込みをかけてきた。

前回愛媛マラソンがランネット・ランキングで堂々1位となった「愛媛マラソン・ブランド」がどこまで通用するか。

前回、愛媛を走った後に高知を走った方々は結構いたが、さすがに2週間連続というは、通常の体力の方々では無理だと思う。

普通に考えると、この4大会で1レース出場。さらに、県外の方々の場合、複数エントリーをされる方々が多いだろうということは容易に考えがつく。

それを考えたうえで、さあ第52回愛媛マラソンの抽選枠定員は何人になるのだろうか?

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JR四国では、近く8000系の増産をするらしい。

具体的には、予讃線高松~松山間を走る気動車を電車に置き換えるものだが、短編成を考慮して、増産車両では、運転台付き車両がかなりを占めるらしい。

そんなこんなで、ちょいと気になったのが、現在の8000系の3号車と4号車の2両編成での運転は可能か?ということである。

実は、かずまるが(鉄道マニアにはちょいと嫌われている)川島令三氏の本を図書館から借りてきていた。

かずまるの学校では中等3年生で論文発表があるのだが、かずまるはJR四国の将来について発表することで、借りてきたものらしい。

この本は、以前立ち読みをよくしたものの、特に、「特急しおかぜはよく混むので、できれば特急いしづちとの分離運転が望ましい。」旨の発言は、さすがに買おうという気を削がれたものだ。

が、まあ、空想するなら自由だ、と予讃線内の適当な区間を複線化してみて、現在ダイヤを作成中。

その中で、上のような編成が浮かんだわけである。

8000系は8両編成中(S1編成を除き)3両が電動車である。特急しおかぜ単独運転をするならば、2号車と5号車を乗客数に応じて変化させればよい。閑散期は6両(指定3+自由3)で、繁忙期は現在同様の8両にすればよい。

などと思っていたら、増産するならば現在の3号車(電動車)、4号車(付随車)に相当する車両(運転台無)にすればいいのだ。

特急いしづち編成は最短2両編成からお好きにどうぞ!

ちなみに、現行4Mと6Mは全車岡山行きとなるが、観音寺始発の特急いしづちを続行運転させてみた。もちろん、夕方以降高松発観音寺行きの特急が2本誕生することになる。

もっとも、石鎚山の見えない特急いしづちは四万十川を全く望めない特急しまんとと同様ではあるのだが・・・但し、足摺岬も全く見えんぞ!とか、宇和海も車窓からはほとんど見えんぞ!室戸岬も、うずしおも・・・などと言うつもりはない。

まあ、空想するのは自由。

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6台のパソコンを下取りに出そうとしているが、ようやく荷造りが完了した。

ちなみに、6台なのだが、4箱で片付いた。

上から、ノートパソコン(2台)、SOTECミニタワーとDELLデスクトップ、元メイン機プライム、一番下がNEC-PC9821St20。

あとは、伝票を書けばいいのだが、これが結構疲れそうだ。

運び出しは、今週土曜日ということにして、実は伝票があと2枚残る。

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2013/06/23予讃線三津浜~伊予和気間24M

昨日の大腿部裏痛対策として、それらしきサイトを参考にガチガチにテーピングをしたものの、全てが裏切られる結果となった今日のラン。

そもそも、月間走行距離を300キロを断念したことからすべてが始まる。今日23キロ走れば月間走行距離が230キロになる。今週末に40キロ走ったとして、残り30キロを平日5日での行軍はどだい無理な話である。(1日休暇をとって済む距離ではない。)

というわけで、今日は無理せず16キロにしたわけだが、いざ走ってみると、昨日のダメージ云々よりも、右足痛との闘いであった。

具体的には、本来関係ないと思われる、右膝お皿直下痛~右大腿部裏痛~右膝外側痛が順番に起こる事態となった。右大腿部裏側痛はガチガチに締めたテーピングのおかげでむしろここの痛みが起こったほうが痛みが軽減されるのだが、時折ふっと力が抜けてそれこそ転倒するかのような錯覚に陥るのが危険だ。

停止したときには全く痛みがないから、大腿部裏の筋が張っているのだろうと思うのだが、そうは言っても走っているときの痛みは「ひょっとすると致命傷か?」と思うようなときもある。

その状態での記録は、5キロ24分10秒、10キロ48分10秒(5-10は24分00秒)、15キロ1時間11分50秒(10-15は23分40秒)でゴール16キロは1時間16分35秒であった。

今日の場合はもはや記録云々ではない。とりあえず、今週も天気はよろしくないようだから、養生して今週末にかけようか。

来週月曜日は皇居ランを控えていることだし。

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2013/06/22予讃線伊予和気駅11M

渇水の心配のあった松山では、今週水曜日以降怒涛の雨が降ったこともあり、無事渇水は解消された。

が、文句を言ってはならないが、そのお陰で今週はほとんど走れなかったこともあり、月間走行距離300キロにはとっとと赤信号が灯ってしまった。

まあ、走行距離信仰をしているわけもないのだが、(昨日気温が低かったこともあり)当初今日は30キロを走ってみようと考えていた。

が、午後から太陽が姿を見せ始めると、そんな心意気はどこへやら。結局お遊びの25キロ走に変更し、14時47分に出撃。

こうなると、もはやお遊びとは言ってられない現実があるのだが、一応気温26度程度、日差しもあるものの、幸い風が冷たく感じられる。

今日はとりあえず無理をしない、が、できればサブ3・5のペースでは走りたい。というペースで走ることを決めている。

その結果は、さすがに最近走っていなかったせいか、腰の具合も良く5キロ24分10秒ととりあえず、以前よりは遅いが、サブ3・5を考えるともったいないペース。とにかく、今日のコースは「アホも休み休み走法」はできない。ただ、ひたすら走行中の水分補給で耐えるのみ。

10キロ58分20秒、15キロ1時間12分30秒と5キロ24分10秒で走る。

思えば、今日は何故か、往路も復路もずっと向かい風だったような気がする。冬だったら大撃沈!このやろう!なのだが、暑い時期は記録は望めないものの、これは天の恵み状態である。つまり、暑さで失速することがないのだ。しかも、梅雨前線が南下していることもあり、風は結構冷たく感じられる。

結局20キロ1時間46分15秒(15-20は23分45秒)、21・1キロ1時間41分30秒位で、ゴール25キロは1時間59分40秒(20-25は23分25秒)であった。

終盤、右大腿部裏に痛みがあってペースアップできなかったのだが、その痛みが幸いしたのか、今日は最後までふらつくことはなかったのであった。

もっても、明日の行軍が若干心配ではある。

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2013/06/22予讃線堀江~光洋台24M

11Mを伊予和気駅西側で補足しようとしたものの11Mがかなり遅れていた。

が、折り返しの24Mはほぼ定刻に松山を出発する。

こうなると、11Mの撮影にこだわった場合、堀江~光洋台間の海岸沿いでの撮影が困難になる。

今日がその典型で、旧国道196号にでたところで24Mが目の前を通過する。

万事休す?

というところで、なんと24Mが徐行している。原因は、画像右側の山の斜面にあったらしい。これが11Mを遅らせた原因でもあるようだ。

ちなみに、この付近は、大正末期、予讃線(当時は讃予線)松山延伸工事中このあたりでトンネルを掘っていて落盤。鉄道省は災害として申請したが、愛媛県は工事に影響があると反論。結局昭和2年頃の松山での博覧会開催に間に合わせるべく、鉄道省が折れ、海側へ埋立てることにより、無事昭和2年4月に松山まで開通したという。

ちなみに、都道府県庁所在地で(いわゆる国鉄の)開業したのは、松山駅が(沖縄県を除く46都道府県庁所在地で)最後だったという。さらに、都道府県庁所在地の中心駅として、松山駅はホームが最も少ない(3番ホームまで)という記録も持っている。

更に、予讃線愛媛県内としては、車内販売が全国で最初になくなった、車内で最初に電話が撤去されたという、輝かしい(?)記録を持つ。

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