かずまるのblog

元々は「鉄」のブログでしたが、いつしか「ラン」へ移行してしまった「かずまる(今はもう社会人)」の父(61歳)です。

2014年04月

先日の山本俊彦氏に続き、またもや私の青春だったアーティストが亡くなられた。

実は、松岡直也氏の音楽との出会いは「ラン」とは無関係ではない。

昭和58年2月13日東京国際マラソンで瀬古利彦選手が2時間8分38秒の当時日本最高記録で優勝。

ロドルフォ・ゴメス選手(メキシコ)、バルチャ選手、ネディ選手(以上エチオピア)、瀬古利彦選手、宗猛選手の5人が、オーバーペースとも思われたジュマ・イカンガー選手(タンザニア)をマークし、6人でトップ集団を形成。25キロ1時間13分59秒の表示を見たときは、体全体が震えたものだ。

結果は、赤坂見附の交差点でロドルフォ・ゴメス選手がスパート。瀬古利彦選手1人がそれにつき、さらに坂を上ったあたりで追いついてきた宗猛選手を見るや、再びスパートをし、そのまま逃げ切った。

前置きが長くなったが、そのときのスポンサーであった、マツダ・ファミリアのCMが「松岡直也とウィシング・9月の風」だった。

その直後、失意の北帰行では、持参したウォークマンで松岡直也氏の曲を何度も聴いた。特に根室本線釧路~根室間急行ノサップ1号ではずっと「アドリア」がエンドレスしていた。そして、現実の世界へと戻ってきた。

ある意味、松岡直也氏の音楽は私の青春だけでは終わらないものがあった。

社会人となり、CDデッキを購入してからは、全曲を購入(「フィエスタ・フィエスタ」と「ON A SUMMER DAY」はカセットテープ、「ウォーターメロンダンディーズ」はレコード購入)したものだ。当時のCDは3,500円もしていた。

だから、昭和60年末には、アイドルには全く無関心だった私が「中森明菜氏」を応援した。理由はずばり「ミ・アモーレ」の作曲・編曲者だったからだ。

そして、今でも走るときの「ランニングウォークマン」には、「月曜日の朝」「君といた最後の夏」「ON A SUMMER DAY」「ファーストフライト」「タンゴレンゲ」がある。

そして、なによりも私が最も好きだったのが、昭和63年の「Majestic」だ。

今、この7曲を聴いている。その後は別の曲を聴くかもしれない。

ご冥福をお祈りします。

今日新聞を読んでいると、次のようなことが書かれていた。(次の内容はウィキであるが、今日読んだ新聞記事は古いかもしれないが、確かにそのように書かれていた。)

「2016年3月には2両編成4本と半室グリーン室付きの3両編成2本の計10両が製造され、「いしづち」と「しおかぜ」に使用されている2000系気動車がすべて本系列に置き換えられる予定となっている。」

うーん、この場合、8600系での多客時8連が想像できん。

むしろ、現2000系のごとく、通常は共通運用をしない予定かもしれない。(検査時は8000系代走?)

ということは、あるいは、現アンパンマン列車(10D~9D~21D~22D)は1編成で足りるから、それ以外の1043D、1093D、1092D、1044Dと共通運用となるのかもしれない。つまり、後者4列車は現在G車を連結していないが、G車連結とする。一方で、前者4列車(現アンパンマン列車)の多客期8連は取りやめるということになる。

考えてみれば、現1041Mと1043Dは編成を逆にしても、現14Mの運用は可能だ。

ということは、現1041M(5連)~10D(ここからいしづち2連を増結)~9D~22D~21D~1044D(ここからいしづち2連を解放)~1093D(5連、但し現行2連時はG車付3連?)と、1092Dの共通運用ということか。

なんだか、1日目と2日目で走行距離の差が大きくなりそうだ。あるいは別の意図があるのだろうか。

あるいは、多客期の8000系全車岡山行きの際の高松~宇多津・多度津間シャトル運転。景気が悪い話はあまりしたくないが、閑散期は8000系をL編成のみで運行し、高松~宇多津・多度津間を同じく高松~宇多津・多度津間シャトル運転する気かしらん?

一方で、かずまるの情報として、現在8600系が深夜松山付近を走っているという。

気にはなるが、出かけるわけにもいくまい。

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2014/04/29予讃線堀江~光洋台22D

アンパンマン列車も7連でしたな。

さて、今日は当初雨後曇、それも昨日17時では「夕方から曇」だったのが、結局朝になれば雨はほとんど降らなかった。

というわけで、予定どおり13時43分に、一昨日と同じ21・1キロで出撃。

その結果は、5キロ23分45秒、10キロ47分30秒、15キロ1時間11分15秒(ここまで5キロ23分45秒)という見事なまでの巡航速度(キロ4分45秒)。

さらに、、20キロ1時間34分20秒(15-20は23分05秒)で、ゴール21・1キロは1時間39分10秒であった。

今年は、坂ランを取り入れてはいるものの、どうも疲れが取れない状態が続いている。

そういえば、50歳前後の方の某ブログで「結局、距離信仰に走ったほうが結果が出ている」というのを見たことがある。

第52回愛媛マラソンでは25キロ以降小さな上り坂でも大腿部前側に違和感を感じたことから、その対策で坂ランを続けてはいる。

が、単に疲れがたまるだけならば、いっそ、走りは「距離信仰」を求め、大腿部は別にトレーニングするという方法もあるのかもしれない。

こういうことがあるから、通常運転士は必要数よりも多く待機させている。

でも実際このようなことがあれば、伊予鉄道程度の規模であっても、やっぱりある程度は遅延してしまうのだろうな。

ちなみに、伊予鉄道郊外電車でも、運転士が規定に沿って待機となっているようで、ある運転士が「待機は退屈でたまらん」という理由で車掌をやっているのを見たことがあるものだ。

斎藤茂吉といえば、「アララギ」の編集者ということで教科書にも掲載されていた。

一方で、斎藤茂吉は松山へやってきている。

その理由は、松山市教育委員会の表記では明記されていないが、どうも松山出身の女性問題にあるらしい。

その女性は当時24歳で、29歳上の斎藤茂吉の問題に見切りをつけて、松山へ帰省し、見合いを進めていたところ、斎藤茂吉が追いかけてきたという。

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2014/04/27予讃線伊予和気駅24M、4649M

今日の24Mも7連ですな。一方で、22Dは8連だったように見えたが。

さて、今日は当初JRで三津浜から粟井まで移動して、粟井川沿いに標高300メートルまで上ろうかとも考えていたが、昨日のダメージが大きいため、通常の21・1キロにした。

コースは、お遊びの25キロのうち、粟井坂トンネルで引き返す21・1キロ。

ただ、最初の1キロが4分57秒と予想以上に遅いため、これはもう楽に走ることだけを心がけることにした。

その記録は、5キロ24分10秒、10キロ48分00秒(5-10は23分50秒)、15キロ1時間12分00秒(10-15は24分00秒)、20キロ1時間34分55秒(15-20は22分55秒)で、21・1キロは1時間39分55秒であった。

2年前の今頃はサブ3・5の決意をした頃だ。それから昨年の今頃の記録と、それから今の記録を見ると、実はほとんど変わりがない。むしろ、ラストのスピードが落ちていることが顕著になっている。

が、まあ、停滞気味であったとしても、落ちているわけでもないのだから、この夏のトレーニングを考えて、希望を持つことにしようか。

そういう中で言えば、伊予鉄道は健闘しているのではないかと思う。

伊予鉄道に関しては、ラッピング車両(屋外広告条例が適用される)や通常の補助事業の適用はあるものの、面と向かって経営支援をしていない(ようだ)から、まあ堅実な経営をしているのだろう。

あとは利用する側の考え方だろうなあ。

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