先日の山本俊彦氏に続き、またもや私の青春だったアーティストが亡くなられた。
実は、松岡直也氏の音楽との出会いは「ラン」とは無関係ではない。
昭和58年2月13日東京国際マラソンで瀬古利彦選手が2時間8分38秒の当時日本最高記録で優勝。
ロドルフォ・ゴメス選手(メキシコ)、バルチャ選手、ネディ選手(以上エチオピア)、瀬古利彦選手、宗猛選手の5人が、オーバーペースとも思われたジュマ・イカンガー選手(タンザニア)をマークし、6人でトップ集団を形成。25キロ1時間13分59秒の表示を見たときは、体全体が震えたものだ。
結果は、赤坂見附の交差点でロドルフォ・ゴメス選手がスパート。瀬古利彦選手1人がそれにつき、さらに坂を上ったあたりで追いついてきた宗猛選手を見るや、再びスパートをし、そのまま逃げ切った。
前置きが長くなったが、そのときのスポンサーであった、マツダ・ファミリアのCMが「松岡直也とウィシング・9月の風」だった。
その直後、失意の北帰行では、持参したウォークマンで松岡直也氏の曲を何度も聴いた。特に根室本線釧路~根室間急行ノサップ1号ではずっと「アドリア」がエンドレスしていた。そして、現実の世界へと戻ってきた。
ある意味、松岡直也氏の音楽は私の青春だけでは終わらないものがあった。
社会人となり、CDデッキを購入してからは、全曲を購入(「フィエスタ・フィエスタ」と「ON A SUMMER DAY」はカセットテープ、「ウォーターメロンダンディーズ」はレコード購入)したものだ。当時のCDは3,500円もしていた。
だから、昭和60年末には、アイドルには全く無関心だった私が「中森明菜氏」を応援した。理由はずばり「ミ・アモーレ」の作曲・編曲者だったからだ。
そして、今でも走るときの「ランニングウォークマン」には、「月曜日の朝」「君といた最後の夏」「ON A SUMMER DAY」「ファーストフライト」「タンゴレンゲ」がある。
そして、なによりも私が最も好きだったのが、昭和63年の「Majestic」だ。
今、この7曲を聴いている。その後は別の曲を聴くかもしれない。
ご冥福をお祈りします。