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まあ、たいした話ではない。

ただ、時に、音楽を聴いていると、「あの場所」を思い出すことがある。

例えば、ランニングの際、ランニングウォークマンを装着して走ると、同じコースを走った時、音楽の内容と距離で自分の調子が解る。(※もちろん、ランニングウォークマンの装着には賛否あるため、周囲の暗くなる帰宅後ランでは装着しない。)

そして、今一番感じるのが、「daishidance・pianohousePOLYPHONIC」の最終曲「Final Fantasy5」を聴くと、上図を思い出す。

さらに、鈴木康博氏の「僕と海へ」を聴くと、昭和58年頃の網走市を思い出す。

同様に、故松岡直也氏の「adoria」を聴くと、昭和58年頃の釧路~根室間急行ノサップ1号の車窓を思い出す。

実は私は幼稚園時代からピアノを弾いており、高校受験時は「音楽大学附属高校」への進学を当時中学3年の担当教師と相当協議をした。

結果は、「普通高校へ行き、そこで音楽大学を模索すればどうか」という教師の判断に従った。

ひょっとすると・・・ということはあるかもしれないが、それは間違いでなかったことは事実で、今でも(実は思わぬ事情で)同教師と交流がある。

このように、音楽は時に、聴いているだけで涙が出ることもあり、音楽は私の脳裏に響くものであり、時に圧倒的な意識を届けてくるのかもしれない。