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私の青春の1ページとして、「宇宙戦艦ヤマト」と「サイボーグ009」がある。

当時としては「魔法」とか「主人公が巨大化する」といったヒーローものに対して、この2作品は、「あるいは現世界でも実現可能では?」という思いをもって、当時は見ていたものだ。

だが、その思いは失望へと変わる。

まずは、「サイボーグ009」

人間を改造するという行為、そしてその能力は「多少無理はあっても受け入れたい」と思っていたのだが、結局のとろ、その根底が「科学の力」というよりも「001の超能力(特に瞬間移動)」がなければ成り立たない物語だった。

そして、「宇宙戦艦ヤマト」

こちらは、西暦2199年ということで、200年後の科学をとやかくいうつもりはない。

SFなのだから、「科学の矛盾」は仕方がないと思い続けて45年。

だが、宇宙戦艦ヤマト2202の結末は、なんとなくその「SFの域を超えた矛盾」だったような気がしてならない。

確かに、40年前、当時高校1年だった私の「思い」を回収していただけたことは評価する。

だが、その過程が「結局、サイボーグ009でいう超能力」に終わってしまったことに、「宇宙戦艦ヤマト、お前もか?」という思いだけが残る。

とりあえず、2199第26話で真田さんが「十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない」というセリフは認める。

しかし、さすがに2202第26話で「ここではなんでも起こりえる世界」というセリフになると、結局「それって、魔法?超能力?」ということになる。

宇宙戦艦ヤマトに関しては、SFなのだから、当然その背景に矛盾があってしかるべきと思うのだが、結局「それって、魔法?超能力?」という解釈は避けてほしかったな?という気がしないでもない。

ま、40年前の「我々を精神的に追い込んだ結末」を回収させるための「魔法?超能力?」だったと解釈したいが・・・