かずまるのblog

元々は「鉄」のブログでしたが、いつしか「ラン」へ移行してしまった「かずまる(今はもう社会人)」の父(61歳)です。

カテゴリ: 読書編

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歴史のふしぎを探る会 著

今まで教育として教えられていた歴史の中での疑問点を探る本。

その中で、一番興味のあったのが次。

「戦に長けた織田信長はなぜ「無防備」本能寺に宿泊する愚を犯したのか」というのがある。

で、結局、当時の本能寺は城壁や強固な石垣、堀まで存在していたらしく、「堀や石垣で武装した要塞」のような寺だったらしいことが解ったという。

つまり、明智光秀は「やすやすと討った」のではなく、相当の闘いがあったものらしい。

で、その根拠が「マンションの建築に先駆けた調査」で分かったものだという。

ということは、「それ、事故物件じゃーん」と思ってしまったのであった。

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故ちばあきお氏のコミック「キャプテン」「プレイボール」は全冊購入した。

「購入」という言葉を使ってるのは、平成4年に「転勤」と「結婚」が重なって、一時的に実家へ退避させたら、時刻表ともども全て破棄されたから、その時に実家へ退避させなかった数冊のみが残るだけである。

そして、40年近い時を経てコージー城倉氏が、プレイボールの続編を執筆し始められた。

私としては、大変興味があり、今のところ3巻全て購入した。

そこで感じるのは、3巻までのイメージは、「キャプテン」の4代キャプテン中、前3代で活躍した「イガラシ」よりも、その好敵手だった「井口」の成長物語という感じがする。

これは、現作者が次のような意図を持っているのではないか?と個人的に推測する。

●元々の「プレイボール」は弱小チームがシード校を苦しめ、あるいは勝ち上がっていくものの、最終的には力尽きるというイメージが強い。

●ちばあきお氏が亡くなられた後、いろいろな「サイドストーリー」的なサイトで、「谷原高校は実は西東京では?」とか「谷口最後の大会は決勝で東実高校に敗れる」とかを見てきたが、結果的にコージー城倉氏は、「谷原高校は東東京代表で、谷口1年、2年では対戦する機会(エリア)になかった」という立場をとった。

●これは、「谷口2年の際は専修館が優勝候補とされていたが、墨谷高校に敗れたため、当時の甲子園の出場校は不明だが、普通に考えると専修館レベルの高校が甲子園へ行ったと思う」し、秋の大会では東実高校を破って本大会へ出場し、さらに勝ち抜いてベスト8を獲得したとされているが、これまた谷原高校との対戦はなかったとなる。

●そのうえで、既にイガラシ等が加入したチームで、甲子園出場した谷原高校に惨敗したことは、前年夏の専修館であっても、その次の明善高校に(専修館までが戦力の限界だったとはいえ)一方的に負けたように、弱小チームがシード校に勝つための戦略ができなければ「この程度の試合になってしまいますよ」となるだろうし、あるいは谷原高校が春の選抜大会で相当な実力をつけたことになるのかもしれない。

●そこまでが「故ちばあきお氏」の世界と、今回の「コージー城倉氏」の設定。

そうなると、もはや時間軸的に、谷口の球威では谷原高校には太刀打ちできないわけで、そうしたら、「イガラシ」か「井口」が覚醒するという設定にならざる得ないということではないだろうか、と考えるわけである。

それが、関西の甲子園常連校との練習試合で、井口が「甲子園常連校に通用する投球をした」ということが前提になる。(※「番外甲子園」で主人公が頭部にデッドボール受けた後に覚醒したようなものですかな?)

というわけで、現在コミックでは東実高校にゆさぶりをかけられているようだが、それも含めて、最終的には、井口対谷原高校がクライマックスになるのだろう。

もちろん、墨谷高校に甲子園出場していただきたいものだが。

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38年の時を経て、故ちばあきお氏の名作「プレイボール」が再開された。

実のところ、先週日曜日に実母の見舞いで今治へ行って、頼まれた物を買うためらコンビニに行って、それが収録されている漫画を発見したという偶然である。

で、とっとと、現時点で販売されている3巻まで購入。

実際には「キャプテン」「プレイボール」にしても、細かいところでは「突っ込みどころ満載(例えば6回までパーフェクトに抑えられていたのに、7回の先頭バッターが9番から始まる・・・等)」だが、私の青春の漫画だった。

で、この「プレイボール2」は、「コージー城倉」氏が作画されている。

このような事例は、「サイボーグ009」等、原作者が亡くなられた後に、別の作者が執筆されるケースであり、原作者の「カリスマ的筋書き」がされれば、私のような者は懐かしく思うものだ。

さて、この「プレイボール2」であるが、現在3巻までの状況では「井口」の成長物語的な感じがしないでもない。

「井口」といえば、「キャプテン」で、彼の1年、3年で主人公の母校「墨谷二中」のライバルとして立ちふさがった。

一方で、「プレイボール」は作者が亡くなられた後、「いろいろなサイドストーリー」が流れ、その中で、「東実高」に決勝戦で敗れるというものもあった。

だが、「プレイボール2」では、同校とは初戦で対戦するというストーリーなっている。

さらに、その後は、過去激戦を繰り広げた「聖稜高(前年勝利)」「大島高(前年勝利)」「川北高(前年練習試合で負け)」と対戦した後、「プレイボール」最後の練習試合対戦相手で惨敗した「谷原高」と準決勝で対戦するということになっている。

だから、「墨谷高」が甲子園に出場するかどうかは解らないが、少なくとも、「谷原高」との対戦までは「負けることはない」のであろう。

で、決勝戦が「(前年ベスト16で勝利した)専修館?」それとも、「(前年ベスト8で敗退した)明善高?」ということなのだろうか?

いずれにしても、40年の時を経て懐かしい漫画に出会ったものである。

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宅配の方に「大変申し訳ない」とは思うものの、こっちでは売っていないから、購入した「東京時刻表2017年11月号」

なにしろ、来週末にかずまる宅へでかけるのであるが、微妙にダイヤ改正をしているから、買わざる得ない状況にあったわけだ。

特に、あまり関係はないとは思うものの、京成電鉄の成田空港発最終便の行先が京成津田沼から京成高砂に延長されたから、これはやっぱり買わざる得まい。

さらに、常磐線あたりも結構ダイヤ改正している。

ということは、以前そうだったように、総武快速線あたりも微妙にダイヤ改正しているかもしれない。

そういう言い訳を散々したところで、やっぱり「買うときは買う」という「言い訳」にしかならないのであろう。

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福澤 潔氏著

「キツイと感じたら練習ではない」
「イヤな練習は絶対にしない」
「マラソンの練習は15㎞までで十分」
「インターバル走や30キロ走はNG(自分の体力確認のために走るのは否定しない)」

という内容が延々と書かれている。

本の趣旨としては、「ぜいぜい、としながら走り続けるよりも、ゆっくりと何度も走ることによって、体の基礎体力を高める」という考えに基づいている。

ただ、正直なところ、「通勤ラン」の考え方で、「1週間6日は10~15キロ走りましょう」「そのうち2日はビルドアップ走(但しペースを上げるのは終盤1~2キロ)をしましょう」となると、私の場合は、やはり「少々アレンジ」しなければならないようにも思える。

あと、著書の隅っこに、ちょこっと「指針」として「3時間30分で走るための目標は10キロ44分以内」と書かれている。

これ、今の自分には無理ですがな!(それどころか、10キロ45分50秒程度で苦しんでいる。)
というより、むしろこの「指針」に満たない私が、3時間30分を切っているということになる。
これでは、「青山剛氏」の方が「楽」ですわ。(5キロ22分30秒、それでも今はぎりぎり。)

ただ、この考え方で思うことがひとつある。

●今年は、(ラン後のダメージが大きいことから)昨年までの走り方を改め、ゆっくりとできる限り長い時間走ることに徹した。

●その結果、涼しくなり始めたここへきて、「ペースがキロ10秒程度上がり、かつダメージが少なくなった」という実感を得るようになった。

そこで、9月のランは、次の走り方を考えている。

●通常、この時期は「今治シティマラソン」へ向けて、21キロ程度を、それこそ「ぜーぜー」状態で走っている。

●だが、今年は同大会が3週間遅くなったことで、「今」スピードは必要ない。

●ならば、「ここへきて多少涼しくなったことも幸いだから」ゆっくりと25キロ試走を取り入れ、10月になってから、21キロのスピード練習に入る。

まあ、「福澤潔氏」の話を全然聞いていないことにはなるのだが、「スピード練習がそれほど必要ない」のであれば、平日の「帰宅後ラン」でスピードを託すことにして、土日は「ぜーぜー」といわない走り方をしてみようと思うのである。

9月の練習方法としては、次のとおりとしてみようか。

●平日・・・残念ながら、日没が早くなったことから、今までのような練習はできない。
足元の明らかな(知り尽くしている)、自宅周辺の周回コースになると、短期な私は「距離を延ばすことが苦痛」になるのだが、「福澤潔氏」の指南書に従い、ペースアップはラスト2キロ程度にとどめてみる。

●土日・・・土曜日はゆっくりと25キロ、日曜日は15キロ(終盤ペースアップ)

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(青山剛氏著)

今シーズン、スピードを捨て、キロ5分30秒から6分00秒ペースで走る方法に変えた根拠となるのが、氏の考え方によるものである。

内容としては、当該サイトにある内容と同じことが書かれている。

その意味では新鮮味はないといえばそうなるのだが、「やるべきこと」には変わりあるまい。

ただ、最後まで読んで、「はて?」と思うこと。

「全力で走るな」というペースは結局何?ということであった。

まさか、以前氏のサイトにあった、「ジョギングは全ランの7割を占め、そのペースは3時間30分を切るランナーの場合はキロ5分30秒から6分30秒ペース」という「1行」だけ?

ただ、個人的な見解としては、「ある程度腹筋をつけるまでは走るな!」という「くだり」がとても印象的であった。

つまり、「腹筋をつけよ!」ということであり、「腰の状態があまりよろしくない私」としては、下手をすれば「走るな!」ということにもなる。

結果として、半年後に迫った「第56回愛媛マラソン」でベストタイムを出すためには、「腹筋をつける」ことが絶対条件のようである。

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(金哲彦氏著)

金哲彦氏といえば、昨今のエリートマラソンや駅伝では解説者等として「増田明美氏」と同様、見ない方が少ない。

なによりも、金氏は「山登りの木下」と言われていたのだが、箱根駅伝がテレビ中継される前は、ラジオで聞いていたのだが、金氏はその「テレビ中継される」前年に早稲田大学を卒業された。

だから、個人的には、現在の「山の神」等の呼称でいえば、「元祖・山の神」と言いたいものだ。
5区20・6キロで、3年で1時間11分59秒の区間新記録を樹立し、翌4年では向かい風の中、2秒遅れの1時間12分01秒の記録を打ち立てた。
ともかく、テレビ放送のなかった時代にも関わらず、金氏にあこがれたものだ。

ちなみに、翌年(テレビ中継初年)の5区区間記録は日本大学選手(報徳高校出身で前年の高校駅伝では後述の世羅高校・工藤選手が独走するという大方の予想を覆して区間賞を獲得した。でも、そこまで記憶があってもこの選手の名前を思い出せない。)の1時間14分00秒だった。

そして、今もし、機会があれば、ぜひ指導を受けに「出かけたい」と思っているのだが、これはまあ、かなり無理なんだろうなあ。

そういう状態だから、金氏に対しては、いくつか「つっこみ」もある。

そのひとつが、なんの本だったか、「大会でライバルとすべきランナーの見極めは、膝から下を見よ。」というのがあった。
要するに、走行距離の長いランナーは「膝から下の毛が擦り切れる」という意味なのだろうが、私が今持っている「箱根駅伝の雑誌」では、金氏も「膝から下の毛がかなり濃い」ので、笑ったことがある。
まあ、まだエリートマラソンの時代なんだろうな。

そして、もうひとつが、「早稲田スポーツ新聞会(2014.08.20)」である。
3年間5区を走り、3年では区間新記録を出し、4年の時は2区を走りたいと思っていたときに、当時の監督(中村監督の勇退翌年)にお願いしたときの話。
「鈴木監督は即答して、「わかった。お前の気持ちはよくわかった。でもお前は2区を走ったら順大に何分勝てるのか」と聞かれた。相手は順大なんだよね。もう勝つ負けるじゃなくて何分離せるかっていう(笑)。そうすると順大は2区のエースに勝つ自信はあるけどやっぱりいけても「1分ですかね、下手すると30秒くらいです」と言った。それが正直なところだから。そうしたら、「じゃあお前5区なら何分いけるんだ」と聞いてくるんだよ。そりゃあもう5区はスペシャリストだから「少なく見積もっても3分、上手くいけば5分勝てます」と。「ならお前、チームのために5区だろう」って(笑)。それで、「わかりました」と言って、僕も5区の基本的な役割はわかっているのでそれ以上は何も言わない。わかりました、やりますと言わざるをえなかった。」

これは、確かに監督が正しい。というより、監督はチームをよく知っておられたと思う。
この大会(テレビ放映開始の前年)は、5区金氏(当時・木下氏)が向かい風の中、新記録を出した前年よりも2秒遅いだけのタイムで、2位順天堂大学に6分32秒の差を付け、往路優勝をする。
復路順天堂大学は、6区で4分差、7区で2分差まで詰めるが、8区では逆に6秒差を広げられ、9区でも7秒差を詰めただけで、2分以上の差を付けられて最終10区へ入る。
この時、監督が「もっと差がほしい」と何度も言っていたの聞いて、「なんで?」と思ったものだ。

だが、最終10区は、順天堂大学はエース工藤氏(2年)に対し、早稲田大学は実は800メートル選手の藤原氏だった。
結局、東京都内に入ってからの首位逆転があり、最終的に順天堂は2位早稲田に2分以上の差を付けて優勝し、早稲田大学の3連覇を阻んだ。

要するに、「その大会の早稲田大学の箱根駅伝ランナーは9人しかいなかった」という、今では考えられないことであり、それを監督も金氏も知っていたのだろうなあと思う。

というわけで、話は非常に長くなったが、本の内容には戻る。

さて、金氏のマラソンペースに関する考え方は「フルフラット」のようである。
この考え方は、今の私の最も推奨する走り方である。

それも、そのフルフラットの考え方は、1キロ単位の記録ではなく、コースの状況に応じた流れでのフルフラットのように感じる。
「目で見た感覚」を強調されているのが特徴だ。
要するに、3時間30分で走り続けるならば、キロ4分58秒が基本となるが、だからといって、上り坂も同じペースで走るというのは「ダメ」というわけで、それを考えたペースで走るべきということである。

これは、愛媛マラソンコースを知り尽くした私だからこそ、愛媛マラソンに特化した走りができるわけで、次回愛媛マラソンに対する不安も、できれば今までの「知識」で、なんとか乗り越えたいものだということが解ったのであったる

もっとも、この本を購入したのは、昨年末であり、結局この本は今のところ「役に立っていない」のであるが、ぜひ次回大会に役立てたいものである。

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