かずまるのblog

元々は「鉄」のブログでしたが、いつしか「ラン」のブログへ移行してしまった「かずまる(大学1年)」の父(55歳)です。

カテゴリ: 北海道編

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元々はパソコン版から昭和61年ころファミコンへ移植され、当時はやりこんで、音楽CDを購入して、昭和63年2月の北海道行軍では音楽とともに、その場所をめぐり歩いたものだ。

さて、その「オホーツクに消ゆ」なのであるが、ゲームから離れて、いろいろと考えると、実はとんでもない死角があることに気づく。

というわけで、今回は、そのうち最大の死角を紹介する。

「ますだぶんきち」が東京で殺されて、釧路市「みどりがおか」へ行き、彼の妻に会ったとき

「ひとに うらみをかうような ひとじゃなかったのに・・・」
「このまえも うちのひとに むかし せわになったというひとが おかねをくれたりして」
という妻との会話。

だが、後で冷静に考えると、とんでもないことが欠落している。

この「ますだぶんきち」は、網走刑務所で「うらた」が「のむらげんじ」に似ていると思い、心を許して話したことから、「ますだぶんきち」が「のむらげんじ」に似ていることを利用して、ゆすることを考えて、逆に殺されたものである。

夫である「ますだぶんきち」が網走刑務所に入っていたことを知らないはずはないだろうし、そこへ入るには、それなりの理由があったはずだし、ちゃんと裁判もあったはずだ。

夫である「ますだぶんきち」が網走刑務所に入った理由は、ゲームでは述べられていないが、
「思いっきり うらみをかうような人じゃないか!」

夫と音信不通だったならば、そういう会話もあるかもしれないが、「お金をくれた」という事実がある以上、それは言い訳にならん!
「お金をくれた」意味くらい考えよ。
それも解らないようなあんたがいるから、「●●詐欺」が世にはびこるんだ!
おっと、それを考えると、時代を先取りしたゲームだったのかしれない。

だが、それはそれとして、そんな妻の言葉とはとても思えない。

本当に知らなかったのならば、「あんたはバカだ!」 (完璧にバ●かもしれんな・・・)

というわけで、深く考えれば考えるほど、実はこのゲームは、この段階で意図的にゲーマーを「混乱させる」ことが目的という、いわゆる「●●ゲー」だったのではないか?と思うのであった。

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元々はパソコン版から昭和61年ころファミコンへ移植され、当時はやりこんで、音楽CDを購入して、昭和63年2月の北海道行軍では音楽とともに、その場所をめぐり歩いたものだ。

さて、その「オホーツクに消ゆ」なのであるが、ゲームから離れて、いろいろと考えると、実はとんでもない死角があることに気づく。

今回は、そのうち2番目に「酷い」と思う箇所を紹介する。

画像は、釧網本線北浜駅。

ゲームでは、ここにやってきた主人公が、駅員に北浜の浜辺にの死体があがったことを聞かされて、浜辺へ行くシーンがある。

が、北浜駅と言えば、オホーツクに最も近い駅である。

だから、浜辺に死体があがったのであれば、駅員に聞くまでもなく、駅近くの国道上に並んだパトカーを見れば、北浜駅よりも先に浜辺に何かが起こったということがわかるはず。

でなければ、主人公はバカ!だ。

というわけで、次回は、当該ゲーム最大の死角を紹介したいと思う。

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先日ニュースで、JR北海道が新型特急の開発を断念したということがあったが、それ続き、「DMV(デュアル・モード・ビークル)」の開発断念ということになったらしい。

このDMVは実際に、わざわざ北海道まで行って乗車したことがある。

その感想として、JR北海道に必要かどうかはともかくとして、全国的には需要はあったと思っている。

その理由は、JR北海道は「冬に車中に閉じ込められることを考慮し、トイレを設置しなければならない」という基本中の基本ができていないからだ。

多分、その開発は「財団法人鉄道総合技術研究所」がかかわっており、それに対して国の補助金の関係があるのだろう。

だから、開発断念は、そのほかの鉄道が「国家プロジェクトとして・・・」などと言っているが、確かになんとかならないのか?とは思っている。

が、そういう現行法を考えると、悪法も法なりという考えを持つ私にとっては、違約金の補填を考えても手を上げる必要もあるのではないか?その違約金に対して「募金」を募るならば、私も微弱ながら応援するぞ(本当に微弱だが、声を上げて募りたい!会計検査院もご配慮を)!と思ってしまう。

現在は、津軽鉄道や阿佐海岸鉄道などが上がっているようだが、私が一番悔しがるのが、「高千穂鉄道」だ。

当時のH知事は「全く鉄のことを判らんかったんかい!」と言いたい!あの(災害で分断されたが観光に最も向いていた)路線こそ、DMVに最もふさわしい!と思っていたものだ。第一、DMVの最も欠点とされる「CTC認識に時間がかかる」なんで必要は1編成で往復するならば、全くないからだ。

仕方がないから、現在は、徳島~室戸岬~高知間(一部阿佐海岸鉄道)に導入をと当ブログでも書いたことがあったが、「観光」として、既に走っている車両を利用する手段はないものかと思う。

最近、私の青春時代の象徴だった方々が次々となくなられている。

渡辺氏の小説といえば、実際には「氷紋」「流氷への旅」「阿寒に果つ」「風の岬」程度しか持っていないが、むしろエッセーの印象が強い。というより、氏の本はどうしても不倫が多いため、エッセーを求めたというのが本音か?

一方で、間違いなく私を「北海道病」にした張本人であろう。

昭和50年代という、まだ画像の乏しい時代、文章による描写は、人の無限の想像力を生むと考えてよいだろう。その意味では初期の「ウィザードリィ」もそうだったと思う。

さて、その中で、私の最も記憶に残る小説は「氷紋」である。その内容は当時小学生だった私には、よく判らないものであった。

メインキャストである、ヒロイン岩下志麻氏、主人公北小路欣也氏、ヒロインの夫にして主人公のいじめ役津川雅彦氏のうち、当時から北小路欣也氏のファンになったものだ。今でも活躍されているが・・・(一部では犬として・・・)ちなみに、津川雅彦氏については、当時私は長門裕之氏と混同していたものだ。

また、この氷紋は、そのときのテレビ放映と小説でラストが異なっていると記憶している。

そしてなによりも、私が氷紋に惹かれたのは、実はそのテーマ曲だった。

風車の「旅路」

それは、35年の時を越え、5年ほど前にレコード盤を購入することができ、今もランニング時には時折聞いている。

そのメロディ、歌詞を走りながら真面目に聴いていると、時折妙な感情に襲われることがある。

氏のご冥福をお祈りします。

うむ、懐かしい。

流氷といえば、大学3年(S58年4月とS59年3月)、大学4年(S60年3月)、社会人2年目(S62年2月)、社会人3年目(S63年2月)の計5回見に行ったものである。

あれからもう26年かあ。

昭和50年代といえば、まだ「流氷を見に来ました」という様相を見せると、逆に嫌な顔をされたものだ。

昭和60年3月に紋別で流氷のイベントがあったが、そのとき主催者の方が「流氷が観光資源になるかもしれない」とおっしゃられていたくらいである。

遠い時代だ。

あの空港は、北東側に「釧路市丹頂鶴自然公園」があるのですな。

平成19年7月に親子3人で行ったとき、ここで丹頂を見ていて、ふと、岡野上に

「つ、鶴がいる!?」

実際には、JALのマークだったわけですな。

ちなみに、問題の樹木は北西側とされているので、公園とは関係なかったようですな。

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昨年7月のこの時期の3連休で、北海道の大雪山系黒岳に登りました。折からの台風で出発が危ぶまれたものの、最終的には朝鮮半島に向かい、出発はできました。が、その後温帯低気圧に変わった元台風に直撃されたとき、ちょうど大雪山系にいました。

気温8度、暴風雨の中、さすがのかずまるも弱音をはく中、お花畑までは行けなかったものの石室まで往復8時間弱の行軍でした。

が、我々の行軍は所詮6時間弱だったのですが、その夜は背中がぞくぞくしてしました。熱はでなかったものの、あるいはごく軽い低体温症だったのかもしれません。

今回の大雪山系の事故は、とても人事のように思えません。

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